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 古墳こふんからつかる武具ぶぐには、よろいかたな以外いがいのものもあります。ながけて使つかほこやりもありました。おうとして地域ちいきおさめるとき、たたかいをりひろげることもあったでしょう。そうしたとき、かたなをもって直接ちょくせつぶつかりあうだけでなく、ほこやりといった相手あいてとの距離きょりをとりながらたたか方法ほうほうという道具どうぐ使つかったたたかいもりひろげられていたことがわかります。


36.鉄鉾てつほこ山下町やましたちょう大垣内古墳おおがいとこふん〉 市指定文化財
   古墳時代後期(6世紀初頭) 亀山市歴史博物館所蔵

目釘穴
 ほこは、てきすための武具ぶぐです。このほこ根元ねもと八角形はちかっけいふくろのようなかたち穂袋造ほぶくろづくり)になっていますので、この部分ぶぶんながんで使つかいます。んだあとけないようにほこをとめる目釘めくぎのためのあな目釘穴めくぎあな)ものこっています。ながさは42.2cmで、つくられたときの完全かんぜんかたちたもっています。
 かたなとはちがい、左右さゆう両方りょうほうについています。には、ぬのあとがなにもないため、さやにおさめることなく古墳こふんれたとかんがえられます。



鉄鉾〈大垣内古墳〉



37.鉄槍てつやり山下町やましたちょう大垣内古墳おおがいとこふん〉 市指定文化財
   古墳時代後期(6世紀初頭) 亀山市歴史博物館所蔵
 やりほこおなじく、ながち、てき攻撃こうげきをするための武具ぶぐです。ほこおなじく左右両方さゆうりょうほうをもちますが、ちがいは中央ちゅうおうがり(稜線りょうせん)がないことです。
 ながやりつな方法ほうほうは、①やりはし先端せんたんつめかたちけずったをあてる(呑口式拵のみくちしきこしらえ)、② うえからうすたけいたわせてかわなどをまく、③さらにそのうえからうるしをかけてかためる、という順番じゅんばんかんがえられます。ほこうえにかぶっていましたが、やりうえにかぶるかたちになっています。にはのこっていますので、さやをかぶせて古墳こふんれたとかんがえられます。
 さて、このやりには、菱形ひしがた模様もようがついています。模様もようつくかたは、①おおきな菱形ひしがたなかに6つの菱形ひしがたかさねた模様もよういとつくる、② いとつくった模様もよううえ黒漆くろうるしをかける、③いとってのぞいたあとに、さらに赤漆あかうるしかさねる、という順番じゅんばんつくられています。復元ふくげんしたやりでじっくり観察かんさつしてみてください。




鉄槍〈大垣内古墳〉



38.模造復元もぞうふくげん鉄鉾てつほこ山下町やましたちょう大垣内古墳おおがいとこふん
   現代 亀山市歴史博物館所蔵
 鉄鉾てつほこ出品番号しゅっぴんばんごう36)をつくったときのかたち復元ふくげんしています。


模造復元・鉄鉾〈大垣内古墳〉



39.模造復元もぞうふくげん鉄槍てつやり山下町やましたちょう大垣内古墳おおがいとこふん
   現代 亀山市歴史博物館所蔵
 鉄槍てつやり出品番号しゅっぴんばんごう37)をつくったときのかたち復元ふくげんしています。についた模様もようをじっくり観察かんさつしてみてください。赤漆あかうるししたからのぞく黒漆くろうるしいろあざやかなであったことがわかります。

模造復元・鉄槍〈大垣内古墳〉


模造復元・鉄槍 先端
〈大垣内古墳〉
模造復元・鉄槍 柄
〈大垣内古墳〉



40.山下橋やましたばし古代武人像こだいぶじんぞう
   原直矢氏作 現代 亀山市歴史博物館所蔵
現在げんざい山下橋やましたばし親柱おやばしらうえかれているものとおな武人像ぶじんぞうです。山下町やましたちょう大垣内古墳おおがいとこふんから発見はっけんされた横矧板鋲留短甲よこはぎいたびょうどめたんこう出品番号しゅっぴんばんごう25)かたな出品番号しゅっぴんばんごう27〜29)鉄鉾てつほこ出品番号しゅっぴんばんごう36)鉄槍てつやり出品番号しゅっぴんばんごう37)などから、古墳こふんほうむられたひと想像そうぞうしてつくられました。


山下橋古代武人像

山下橋


市内しないには武人ぶじんがいた!〜大垣内古墳おおがいとこふん
 昭和しょうわ63ねん(1988)8がつ亀山かめやまおそった台風たいふう13ごうにより、鈴鹿川すずかがわにかかる山下橋やましたばしながされました。はしなおとき、そのはばひろげることになり、山下橋やましたばしつづみちえることになりました。そのため、古墳こふんがあるとされていた山下地区やましたちく共同墓地きょうどうぼちが、はしつづみち敷地しきちふくまれることになり、平成へいせいねん(1991)、発掘調査はっくつちょうさおこなうこととなりました。
 その結果けっか短甲たんこうかたなほこやりなどの武具ぶぐのみのこぎりといった工具こうぐ出土しゅつどしたのです。まざまな武具ぶぐとともにほうむられていたことから、大垣内古墳おおがいとこふんほうむられたひとは、武力ぶりょくでもって地域ちいきおうをささえた武人ぶじんであったとかんがえられます。その姿すがたは、現在げんざい山下橋やましたばし親柱おやばしら設置せっちされた武人像ぶじんぞうのように、よろいかぶとにつけ、大刀たちほこやりゆみあやつったのだろうと想像そうぞうされます。

大垣内古墳跡(山下町)



41.石鏃せきぞく山下町やましたちょう沢遺跡さわいせき
   縄文時代後期 まちなみ文化財室所蔵
 やじりは、先端せんたんにつけ、対象たいしょうとなる獲物えものてきさる部分ぶぶんです。このやじりは、いしけずってつくりあげたものです。

石鏃〈沢遺跡〉



42.鉄鏃てつぞく和田町わだちょう釣鐘山古墳つりがねやまこふん
   古墳時代後期(6世紀前半) まちなみ文化財室所蔵
 古墳時代こふんじだいになるとてつでできたやじり登場とうじょうします。やじりいしからてつへと変化へんかすることで、攻撃力こうげきりょくもあがったのではないでしょうか。てつやじりは、先端せんたんたてびた三角さんかくのようなかたち部分ぶぶんやじりにあたります。そのしたにつづく細長ほそながいところはやじりで、矢本体やほんたいとつなぐためのジョイントとして必要ひつようとなります。
 釣鐘山古墳つりがねやまこふん出土しゅつどした鉄鏃てつぞくは、ひつぎそとにあったものの、29てんすべてが一束ひとたばとなり、先端せんたんひつぎ平行へいこうにしたおな方向ほうこういて発見はっけんされました。くなったひとほうむるとき、なにかの儀式ぎしきおこなったことをあらわしているのではないでしょうか。

鉄鏃〈釣鐘山古墳〉



43.器財埴輪片きざいはにわへん山下町やましたちょう沢遺跡さわいせき
   古墳時代後期(6世紀前半) まちなみ文化財室所蔵
 ちいさな破片はへんであるため正確せいかくかたちはわかりませんが、たてゆぎではないかとかんがえられます。ゆぎは、てて背中せなか背負せおもので、やじりうえにしてれる武具ぶぐです。てて背負せおれもものとしては、胡籙ころくがありますが、こちらはやじりしたにしてれる武具ぶぐとなります。

胡籙


器財埴輪片〈沢遺跡〉



44.器財埴輪片きざいはにわへん田村町たむらちょう名越古墳なごしこふん
   古墳時代前期(4世紀末) まちなみ文化財室所蔵
 破片はへんですが、せんあとからゆぎれたつつ部分ぶぶんではないかとかんがえられます。埴輪はにわという古墳こふんかざ土製品どせいひんですので、実際じっさい使つかったわけではありませんが、埴輪はにわ題材だいざいとなるほど身近みぢか存在そんざいであったことがうかがわれます。


器財埴輪片〈名越古墳〉



   

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