日本刀は、反りをもつ(曲がっている)特徴的な武具です。一口に日本刀といっても、さまざまな種類があります。その違いは、日本刀の刃の向きや長さにあります。刃の向きは、刀を身につける方法が、腰に吊り下げる形から、腰に差す形へと変化したことにより、下向きから上向きへと変わりました。
こうした日本刀は、江戸時代に武士という身分が江戸幕府によってつくられたため、武士の持ち物として必要とされたものでした。
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5.黒変塗拵(大小)
江戸時代 亀山市歴史博物館 亀山神社寄託資料
拵とは、日本刀の外側の飾りです。一振の刀にひとつの拵ではなく、入れ替えできるようになっています。次の朱塗拵が入れ替え用の拵のうち、鞘の部分です。私たちが洋服を着替えるのと同じような感じでしょうか。
さきほどの朱塗矢筈札紺糸毛引威二枚胴具足とセットとなる拵のようです。石川家のものとわかるよう、目貫・笄・小柄(裏側にあります)に笹竜胆紋が据えられています。
また、この拵は、大・小がセットになっています。17世紀後半には、大小二本差しが武士の基本となりますので、そのための拵のスタイルです。
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黒変塗拵
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拵名称
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6.朱塗拵(大小)
江戸時代 亀山市歴史博物館 亀山神社寄託資料
黒変塗拵の鞘の部分を入れ替えることができます。黒変塗拵とは違い、笹竜胆紋は鞘の端の鐺にあります。
黒色と朱色の鞘を入れ替えることで、刀の雰囲気はかなり変わるのではないでしょうか。
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朱塗拵大
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朱塗拵小
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刀も外側の飾りを替えられるんだね。場所の雰囲気にあわせたりしたのかな?
入れ替えても、黒・朱どちらにも、石川家の家紋、笹竜胆があるから石川家のものだってわかるね。
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7.尻鞘
江戸時代 亀山市歴史博物館 亀山神社寄託資料
鞘を雨や露から守るための太刀のカバーです。動物の毛で虎の模様になるように作られています。虎の模様で強さをアピールしているのではないでしょうか。
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尻鞘
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8.太刀〈則包〉
鎌倉時代 亀山市歴史博物館 亀山神社寄託資料
刃の長さは69.8cmあります。太刀は、刃を下にして吊り下げる形で使います。握るところ(茎)には、太刀の作者の名前が刻まれています。作者の名前は、腰に吊り下げたとき、外側の面に刻みます。ここには「則包」とありますね。
実は、今の形は茎を切り取って短くし、太刀から刀に改良したものです。ですが、元の形である太刀として紹介しています。
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太刀〈則包〉
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刀と太刀の見分け方1
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刀と太刀の見分け方2
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刀とことば
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日本刀の種類
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9.刀〈天龍子橘久一作/文久四子年 二月日〉
江戸時代後期(文久4年(1864)) 亀山市歴史博物館所蔵
刃の長さは75.2cmあります。刀は刃を上にして腰に差して使います。
こちらも文字が刻まれています。作者の名前「天龍子橘久一作」と作った年月「文久四子年 二月日」があります。天龍子 橘久一は、伊勢国山田(今の三重県伊勢市)に住んでいた刀工です。文久四年とありますので、1864年に作られたこともわかります。
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刀〈天龍子橘久一〉
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10.脇指〈河内守国助〉
江戸時代 亀山市歴史博物館所蔵
刃の長さが45.9cmの脇指です。作者の名前「国助」が刻まれています。この国助、亀山で生まれたと言われています。その後、関一政の刀工として摂津国(今の大阪府・兵庫県)に引っ越し、刀を作り続けました。
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脇指〈河内守国助〉
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11.脇指〈河内守国助〉
江戸時代 亀山市歴史博物館所蔵
こちらの脇指は長さ38.5cmとなります。同じ脇指で作者も河内守国助となっています。
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脇指〈河内守国助〉
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12.短刀〈吉光〉
鎌倉時代 亀山市歴史博物館 亀山神社寄託資料
長さ24.3cmの短刀です。こちらは、「吉光」が作ったと刻まれています。
吉光は、京都の粟田口の刀工で、短刀の名人として有名です。ただし、この短刀を作った時代と「吉光」という名前を刻んだ時は、違うのではないかと考えられます。
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短刀〈吉光〉
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13.昔模様亀山染
江戸時代後期(文政元年(1818)〜天保13年(1842)頃) 亀山市歴史博物館所蔵
元禄14年(1701)に起こった、父親を殺された石井兄弟の敵討ちを描いた浮世絵です。戦っている人たちは、刀と脇指の大小2振の日本刀を腰に差しています。うち、長い方を抜いて戦っていますので、刀を使っていると考えられます。さらに、長い柄の武器、槍も使っています。
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昔模様亀山染
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14.単騎要略被甲弁
江戸時代(享保14年(1729)) 亀山市歴史博物館所蔵 今井家資料
具足や刀を身につける方法を図入りで解説しています。この本が作られた江戸時代半ば(享保14年(1729))には、日常的に身につけるものではなくなっていたと考えられます。
この本を書いた村井昌弘は、伊勢国度会郡(今の伊勢市)で生まれて兵学を学び、安濃津(今の津市)に兵学塾「神武館」を開いた人です。
江戸時代の人も、具足の着方はわからなかったのかな?身につける機会が少なかったのかしら。
今、私たちが着物を着るのが難しいのと同じね。
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単騎要略被甲弁
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甲冑の着方をとっても詳しく教えてくれているね。
江戸時代の人も本当に着方がわからなかったんだね。
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