鈴鹿峠(すずかとうげ)ふもとの宿場(しゅくば)坂下宿(さかしたしゅく)
坂下宿(さかしたしゅく)は東海道(とうかいどう)53次(つぎ)の江戸(えど)(東京(とうきょう))から数(かぞ)えて48番目(ばんめ)の宿場町(しゅくばまち)として、鈴鹿峠(すずかとうげ)を行(い)き来(き)する多(おお)くの人々(ひとびと)でにぎわいました。東海道(とうかいどう)難所(なんしょ)のひとつである鈴鹿峠(すずかとうげ)を控(ひか)えて参勤交代(さんきんこうたい)の大名家(だいみょうけ)などの宿泊(しゅくはく)も多(おお)く、江戸時代(えどじだい)後半(こうはん)には本陣(ほんじん)3軒(けん)、脇本陣(わきほんじん)1軒(けん)、旅籠(はたご)48軒(けん)を数(かぞ)え東海道(とうかいどう)有数(ゆうすう)の宿(しゅく)でした。
東海道五拾参次之内 阪之下 筆捨嶺(とうかいどうごじゅうさんつぎのうち さかのした ふですてみね)