天皇(てんのう)・皇太子(こうたいし)の亀山行幸(かめやまぎょうこう)
大政奉還(たいせいほうかん)により、日本(にほん)の統治者(とうちしゃ)が将軍(しょうぐん)から天皇(てんのう)へ変(か)わると、統治者(とうちしゃ)としての天皇(てんのう)の権威(けんい)を国民(こくみん)に認識(にんしき)させるために、明治天皇(めいじてんのう)は国内(こくない)のあちこちへ行幸(ぎょうこう)されました。同(おな)じように、皇太子(こうたいし)(後(のち)の大正天皇(たいしょうてんのう))も多(おお)くの場所(ばしょ)に行啓(ぎょうけい)しました。この地域(ちいき)では、関西鉄道(かんさいてつどう)が敷(し)かれた後(あと)は、天皇専用(てんのうせんよう)のお召(め)し列車(れっしゃ)が亀山駅(かめやまえき)を通過(つうか)したので、多(おお)くの人(ひと)が亀山駅(かめやまえき)でお迎(むか)えしました。
※大政奉還(たいせいほうかん)…将軍(しょうぐん)徳川慶喜(とくがわよしのぶ)が明治天皇(めいじてんのう)に政権(せいけん)を返上(へんじょう)したこと。
行幸(ぎょうこう)…天皇(てんのう)が外出(がいしゅつ)すること。
行啓(ぎょうけい)…皇后(こうごう)・皇太后(こうたいごう)・皇太子(こうたいし)・皇太子妃(こうたいしひ)が外出(がいしゅつ)すること
- 1868年(ねん)(慶応(けいおう)4年(ねん))
明治天皇(めいじてんのう)が東京(とうきょう)へ行幸(ぎょうこう)のためこの地域(ちいき)を通(とお)る - 1880年(ねん)(明治(めいじ)13年(ねん))7月(がつ)11日(にち)
明治天皇(めいじてんのう)が東町(ひがしまち)の伊藤市治郎宅(いとういちじろうたく)に宿泊(しゅくはく)する - 1908年(ねん)(明治(めいじ)41年(ねん))11月(がつ)
天皇(てんのう)、亀山駅(かめやまえき)を通過(つうか)する - 1910年(ねん)(明治(めいじ)43年(ねん))5月(がつ)3日(にち)
皇太子(こうたいし)、女子師範学校(じょししはんがっこう)に立(た)ち寄(よ)る