日清(にっしん)・日露戦争(にちろせんそう)
日本(にほん)は、1894年(ねん)(明治(めいじ)27年(ねん))に朝鮮(ちょうせん)の支配(しはい)を巡(めぐ)り、朝鮮(ちょうせん)を属国(ぞくこく)と思(おも)っていた清国(しんこく)(現在(げんざい)の中国(ちゅうごく))と戦争(せんそう)を始(はじ)めました。これを日清戦争(にっしんせんそう)といいます。この戦争(せんそう)に日本(にほん)は勝利(しょうり)し、1895年(ねん)(明治(めいじ)28年(ねん))に下関(しものせき)において清国(しんこく)と条約(じょうやく)を結(むす)びました(下関条約(しものせきじょうやく))。清国(しんこく)は、遼東半島(りょうとうはんとう)や台湾(たいわん)を日本(にほん)に譲(ゆず)り、賠償金(ばいしょうきん)を支払(しはら)いました。
その後(ご)清国(しんこく)で、義和団(ぎわだん)による外国(がいこく)を排除(はいじょ)しようという運動(うんどう)が起(お)こり、清(しん)はこれを支持(しじ)して、各国(かっこく)に戦争(せんそう)をすることを宣言(せんげん)しました。これに対(たい)し、日本(にほん)やロシア・アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・オーストリアが連合国(れんごうこく)として対戦(たいせん)し、清(しん)に勝利しました(義和団事件(ぎわだんじけん))。この時(とき)、ロシアが満州(まんしゅう)を勝手(かって)に占領(せんりょう)したことが原因(げんいん)になり、その後(ご)の1904年(ねん)(明治(めいじ)37年(ねん))2月(がつ)に、日本(にほん)とロシアの間(あいだ)で戦争(せんそう)が起(お)こりました。これを日露戦争(にちろせんそう)といいます。日本(にほん)はこの戦争(せんそう)でも勝利(しょうり)しました。