ごみ処理場(しょりじょう)
人(ひと)はくらしの中(なか)で食(た)べ物(もの)ののこり、入(はい)らなくなった道具(どうぐ)などたくさんのごみを出(だ)します。このごみをどのように処理(しょり)してゆくかはむかしからの問題(もんだい)となっていました。
江戸時代(えどじだい)のごみ処理(しょり)
江戸時代(えどじだい)に人々(ひとびと)は、自分(じぶん)がだしたごみはもやすか埋(う)めてしまえばよかったので自分(じぶん)の家(いえ)の土地(とち)でごみを処分(しょぶん)していました。亀山城(かめやまじょう)の二之丸御殿(にのまるごでん)では、長(なが)さ5m、はば6m、深(ふか)さ2.4mもの大(おお)きな穴(あな)を掘(ほ)ってそこの中(なか)にごみを捨(す)てていました。
ごみ処理場(しょりじょう)ができる前(まえ)
1953年(ねん)(昭和(しょうわ)28年(ねん))に亀山地域(かめやまちいき)に、1977年(ねん)(昭和(しょうわ)52年(ねん))には関地域(せきちいき)にごみ処分場(しょぶんじょう)ができました。ですが、一日(いちにち)に焼(や)くことができるごみの量(りょう)は少(すく)なく、ほとんどの家(いえ)がむかしと同(おな)じようにそれぞれの家(いえ)でごみを焼(や)いたり埋(う)めたりしていました。
清掃(せいそう)センター(ごみ処理場(しょりじょう))
亀山市総合環境(かめやましそうごうかんきょう)センター
ふえつづけるごみとごみを焼(や)くときに出(で)る灰(はい)や煙(けむり)をおさえるため、2000年(ねん)(平成(へいせい)12年(ねん))に総合環境(そうごうかんきょう)センターでのごみ処理(しょり)を始(はじ)めました。