亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)し尿処理場(にょうしょりじょう)

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

し尿処理場(にょうしょりじょう)

人々(ひとびと)がたくさん生活(せいかつ)するようになると、市内(しない)では毎日(まいにち)たくさんのおしっこやうんち(し尿(にょう))が出(で)ます。また、し尿(にょう)が分解(ぶんかい)されてできる汚(きたな)いどろ(汚泥(おでい))をまとめて処分(しょぶん)するところが、し尿処理場(にょうしょりじょう)です。

 

し尿処理場(にょうしょりじょう)ができる前(まえ)

1960年(ねん)ごろまでは、し尿(にょう)はよい肥料(ひりょう)となりましたので、農家(のうか)が引(ひ)き取(と)ってくれていましたが、化学肥料(かがくひりょう)が使(つか)われるようになると農家(のうか)の人(ひと)たちもし尿(にょう)を引(ひ)き取(と)ってくれなくなりました。

 

こまる し尿(にょう)の処理(しょり)

し尿(にょう)が肥料(ひりょう)に使(つか)われなくなると、山(やま)に大(おお)きな穴(あな)を掘(ほ)ってし尿(にょう)をすてていましたが、それでも捨(す)てる場所(ばしょ)がたりなくなり、1966年(ねん)(昭和(しょうわ)41年(ねん))に亀山地域(かめやまちいき)の、1976年(ねん)(昭和(しょうわ)51年(ねん))には関地域(せきちいき)のし尿処理場(にょうしょりじょう)が、完成(かんせい)しました。

 

ページの先頭(せんとう)に戻(もど)る
  • 亀山市歴史博物館(かめやましれきしはくぶつかん)
  • 亀山市史(かめやましし)
  • 亀山市(かめやまし)ホームページ
  • 日本博物館協会(にほんはくぶつかんきょうかい)
  • 三重県博物館協会(みえけんはくぶつかんきょうかい)