亀山市立野登小学校4年生出前授業
「"田んぼ"ができるまで 〜辺法寺町〜」
平成29年2月8日(水)亀山市立野登小学校4年生に出前授業に行きました。
辺法寺町にある網中遺跡の発掘調査から分かった田んぼの開発の様子について、時代をさかのぼりながら解説をしました。
<今の田んぼ>
「知ってる!」「ぼくの家の近く」 | 新名神をつくる時に、調査をしました |
新名神の亀山東JCTをつくるために、平成11年〜平成13年まで網中遺跡の発掘調査が行われました。調査した面積は7400u、ワールドカップのサッカーコートより少し大きいと聞いて、「すごい」と驚く児童たちでした。その遺跡からずっとずっと昔の田んぼの後が見つかり、田んぼのでき方が分かったことを知って、その後も興味を持って学芸員の話を聞いていました。 |
<昔の田んぼができるまで>
@ 今よりちょっと前の田んぼ<200年前> 今ほどまっすぐではなくて、小さく丸っぽい形の田んぼでした。昭和40年頃までは、腰まで泥につかって田んぼをしていたことを知って、児童たちはびっくり。 みんなが田植えをする時の深さは? 「ひざより下ぐらい」 |
200年前と聞いて「昔やな」といっていた児童たちですが、さらに時代をさかのぼって話が進んでいくので興味津々です。 A300年前〜900年前の田んぼ さらに前の田んぼの"あぜ"をそのまま使っていました。 |
B950年前の田んぼ さらにさらに前の田んぼより、1枚の田の大きさを大きくしました。 "せき"をつくりました。田に水を引くために"せき"を作った様子がよく分かります |
「小さい田んぼやな」 | 辺法寺町の田んぼのでき方 |
<田んぼで働く人たちの様子>
洪水があり、その砂の厚さは1m | 昭和49年にも洪水が起こっているよ |
400年前の足跡が残っていました | 足跡の石膏型をたくさん並べました |
石膏型と自分の手を重ねて「小さい」 | 足跡シートにのって大きさ比べ |
つま先に力が入る歩き方は? | 足跡図から分かることを説明 |
足跡の石膏型を見ると、かかとよりつま先の方に力が入っていることから、後退ではなく前進している足跡であることが分かります。田植えは後ろへ進むので田植えの時の足跡ではありません。また、まっすぐ足跡があることから、稲が育った間を通って草取りをしていた時の足跡だということが分かってきます。 |
<もっと昔の人が使ったもの>
これは何でしょう「つぼ? なべ?」 | 1200年前のなべです |
「こんな形で出てきたん?」 | 話を聞きながらメモをとる児童たち |
<提示資料>
土師器把手付 ナベ(網中遺跡)
中世水田跡足跡原寸平面図(網中遺跡)
中世水田跡足跡石膏型(網中遺跡)
網中遺跡水田変遷図
網中遺跡発掘調査写真
昭和49年水害写真