製茶業(せいちゃぎょう)
この地域(ちいき)では、茶(ちゃ)の栽培(さいばい)がさかんに行(おこな)われました。茶(ちゃ)の業者(ぎょうしゃ)たちによって鈴鹿郡茶業組合(すずかぐんちゃぎょうくみあい)がつくられ、茶(ちゃ)の輸出(ゆしゅつ)も行(おこな)われました。
伊勢新聞(いせしんぶん)によると、1893年(ねん)(明治(めいじ)26年(ねん))5月(がつ)25日(にち)から31日(にち)までの間(あいだ)、川崎村大字長明寺(かわさきむらおおあざちょうみょうじ)の葛西源七宅(かさいげんしちたく)に、製茶(せいちゃ)を学(まな)ぶための「製茶伝習場(せいちゃでんしゅうじょう)」を設置(せっち)、また、1907年(ねん)(明治(めいじ)40年(ねん))には、亀山日本製茶会社支店内(かめやまにほんせいちゃかいしゃしてんない)に「紅茶伝所(こうちゃでんしょ)」が設置(せっち)され、支那(しな)(中国(ちゅうごく))風紅茶(ふうこうちゃ)の製造方法(せいぞうほうほう)の伝習(でんしゅう)が始(はじ)まったことがわかります。