亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)亀山(かめやま)の製糸場(せいしじょう)

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

亀山(かめやま)の製糸場(せいしじょう)

この地域(ちいき)では農家(のうか)の副業(ふくぎょう)として、また現金収入(げんきんしゅうにゅう)の手段(しゅだん)として、生糸(きいと)をとるための蚕(かいこ)を育(そだ)てる養蚕業(ようさんぎょう)がさかんに行(おこな)われました。1887年(ねん)(明治(めいじ)20年(ねん))4月(がつ)21日(にち)には、亀山養蚕伝習場(かめやまようさんでんしゅうじょう)が設置(せっち)されました。そして製糸(せいし)と呼(よ)ばれる蚕(かいこ)の繭(まゆ)から生糸(きいと)をとるための工場(こうじょう)も建(た)てられました。
1887年(ねん)6月(がつ)には、西町(にしまち)に亀山製絲(かめやませいし)の前身(ぜんしん)である田中製絲場(たなかせいしじょう)が開業(かいぎょう)しました。創(つく)った人(ひと)は田中音吉(たなかおときち)です。またその後(ご)、北山(きたやま)に菊田製糸場(きくたせいしじょう)、西町(にしまち)に市川製糸場(いちかわせいしじょう)、東町(ひがしまち)に寺田製糸場(てらだせいしじょう)、若山(わかやま)に大辻製糸場(おおつじせいしじょう)、関町新所(せきちょうしんじょ)に中村製糸場(なかむらせいしじょう)・村田製糸場(むらたせいしじょう)・尾崎製糸場(おざきせいしじょう)、坂下村沓掛(さかしたむらくつかけ)に福島製糸場(ふくしませいしじょう)がつくられました。三重県(みえけん)は、1893年(ねん)(明治(めいじ)26年(ねん))4月(がつ)に、蚕糸業取締規則(さんしぎょうとりしまりきそく)を布達(ふたつ)し、各郡(かくぐん)に蚕糸組合(さんしくみあい)をつくりました。この地域(ちいき)では、亀山町(かめやまちょう)・神辺村(かんべむら)・関町(せきちょう)・加太村(かぶとむら)・坂下村(さかしたむら)・白川村(しらかわむら)・野登村(ののぼりむら)・川崎村(かわさきむら)・井田川村(いだがわむら)・槇尾村(まきおむら)・昼生村(ひるおむら)に組合(くみあい)がつくられました。
その後(ご)、1911年(ねん)(明治(めいじ)44年(ねん))7月(がつ)26日(にち)に、亀山(かめやま)の有志(ゆうし)により、西町(にしまち)に、田中製絲場(たなかせいしじょう)を会社組織(かいしゃそしき)にした亀山製絲株式会社(かめやませいしかぶしきがいしゃ)が開業(かいぎょう)しました。

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