仏像(ぶつぞう)
慈恩寺(じおんじ)阿弥陀如来(あみだにょらい)立像(りゅうぞう)
像(ぞう)の高(たか)さ163p、平安時代(へいあんじだい)はじめごろのとくちょうをよくあらわす仏像(ぶつぞう)として国(くに)の重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定(してい)されています。衣(ころも)のすそがこげているのは、1593年(ねん)(天正(てんしょう)11年(ねん))に羽柴(はしば)秀吉(ひでよし)が亀山城(かめやまじょう)を攻(せ)めたとき、慈恩寺(じおんじ)も焼(や)かれましたが、仏像(ぶつぞう)を田(た)の泥(どろ)の中(なか)にかくしたので、少(すこ)しこげていると伝(つた)えられます。
遍照寺(へんじょうじ)阿弥陀(あみだ)三尊(さんぞん)
遍照寺(へんじょうじ)(西町(にしまち))の本尊(ほんぞん)である阿弥陀如来(あみだにょらい)立像(りゅうぞう)は、鎌倉時代(かまくらじだい)を代表(だいひょう)する仏師(ぶっし)である快慶(かいけい)の弟子(でし)である行快(ぎょうかい)がつくったのではないかとみられます。また、両脇(りょうわき)の観音菩薩像(かんのんぼさつぞう)・勢至菩薩像(せいしぼさつぞう)は、京都(きょうと)を中心(ちゅうしん)に活躍(かつやく)した院派(いんぱ)と呼(よ)ばれる仏師(ぶっし)のグループによって、1250年(ねん)(建長(けんちょう)4年(ねん))に作(つく)られたもので、ともに三重県(みえけん)の文化財(ぶんかざい)に指定(してい)されています。
蓮光寺(れんこうじ)十一面観音(じゅういちめんかんのん)立像(りゅうぞう)
蓮光寺(れんこうじ)(阿野田町(あのだちょう))観音堂(かんのんどう)の十一面観音菩薩像(じゅういちめんかんのんぼさつぞう)は、もとは近(ちか)くにあった慈眼寺(じげんじ)というてらの本尊(ほんぞん)でしたが、慈眼寺(じげんじ)がなくなったため蓮光寺(れんこうじ)でおまつりされています。鎌倉時代(かまくらじだい)の仏像(ぶつぞう)として市(し)の文化財(ぶんかざい)に指定(してい)されています。
大善寺(だいぜんじ)聖観音(しょうかんのん)立像(りゅうぞう)
大善寺(だいぜんじ)(白木町(しらきちょう)貝下(かいげ))の聖観音像(しょうかんのんぞう)は、平安時代(へいあんじだい)のおわりごろのとくちょうをあらわす仏像(ぶつぞう)として、亀山市(かめやまし)文化財(ぶんかざい)に指定(してい)されています。