亀山こども歴史館トップページ 亀山のむかしばなし大地震(だいじしん)の話(はなし)

[亀山のむかしばなし]亀山(かめやま)で言(い)い伝(つた)えられてきた話(はなし)を集(あつ)めてみました。むかしの人々(ひとびと)はどんな話(はなし)をわたしたちにのこしてくれたのでしょうか。

大地震(だいじしん)の話(はなし)

亀山(かめやま)の歴史(れきし)の中(なか)には、何度(なんど)も大地震(だいじしん)に襲(おそ)われたことがわかっています。つい最近(さいきん)では、2007年(ねん)(平成(へいせい)19年(ねん))の「三重県中部地震(みえけんちゅうぶじしん)」がありましたが、それより前(まえ)には、どんな大地震(だいじしん)があったのか調(しら)べてみましょう。



亀山(かめやま)の大地震(だいじしん)

永享(えいきょう)の大地震(だいじしん)

1433年(ねん)(永享(えいきょう)5年(ねん))2月(がつ)24日(にち)に大地震(だいじしん)があり、鈴鹿山(すずかやま)の大(おお)きな石(いし)が抜(ぬ)け落(お)ちたと、当時(とうじ)の人(ひと)の日記(にっき)(「満済准后日記(まんさいじゅごうにっき)」)に記(しる)されています。

 

明応(めいおう)の大地震(だいじしん)

1498年(ねん)(明応(めいおう)7年(ねん))8月(がつ)25日(にち)、静岡県沖(しずおかけんおき)から愛知県沖(あいちけんおき)にかけてが震源(しんげん)とみられる大地震(だいじしん)がおきました。この地震(じしん)で発生(はっせい)した大津波(おおつなみ)によって安濃津(あのつ)(津市(つし))の町(まち)はほぼ全滅(ぜんめつ)しました。この、地震(じしん)から24年後(ねんご)の1522年(ねん)(大永(だいえい)2年(ねん))に、亀山(かめやま)へ向(む)かう途中(とちゅう)に安濃津(あのつ)をおとずれた宗長(そうちょう)は、「10年以上(ねんいじょう)あれはてていて、4000〜5000軒(けん)の家(いえ)や寺(てら)のあとがのこるだけだ」と記(しる)しています。この地震(じしん)による亀山(かめやま)の被害(ひがい)はわかっていません。

 

天正(てんしょう)の大地震(だいじしん)

1585年(ねん)(天正(てんしょう)13年(ねん))11月(がつ)から12月(がつ)にかけて北陸地方(ほくりくちほう)から近畿地方(きんきちほう)に発生(はっせい)した大地震(だいじしん)は、史上最大(しじょうさいだい)の内陸型地震(ないりくがたじしん)とよばれ、近江長浜城(おうみながはまじょう)、尾張清須城(おわりきよすじょう)が大(おお)きな被害(ひがい)を受(う)けています。また、宣教師(せんきょうし)ルイス=フロイスもこの地震(じしん)について、液状化現象(えきじょうかげんしょう)の発生(はっせい)のほかに「亀山城(かめやまじょう)が地震(じしん)の混乱(こんらん)の中(なか)で滅(ほろ)びた」との記事(きじ)を残(のこ)しています。

 

宝永(ほうえい)の大地震(だいじしん)

1708年(ねん)(宝永(ほうえい)4年(ねん))10月(がつ)に起(お)きた大地震(だいじしん)は、静岡県沖(しずおかけんおき)から和歌山県沖(わかやまけんおき)を震源(しんげん)とする巨大地震(きょだいじしん)でした。この地震(じしん)については、加太(かぶと)の坂久右衛門(さかきゅうえもん)という人(ひと)がそのようすについて、2町(ちょう)(約(やく)200m)を歩(ある)いているあいだ中(じゅう)ゆれていたこと、46年前(ねんまえ)の寛文地震(かんぶんじしん)以来(いらい)の大(おお)きな地震(じしん)であること、神社(じんじゃ)のとうろう、浄専寺(じょうせんじ)(加太板屋(かぶといたや))の石塔(せきとう)が倒(たお)れたこと、山々(やまやま)から土煙(つちけむり)があがったけれども山崩(やまくず)れはなかっことや、ほかとくらべて大(おお)きな被害(ひがい)はなかったのでよかったと書(か)き記(しる)しています。

 

嘉永(かえい)の大地震(だいじしん)

1854年(ねん)(嘉永(かえい)7年(ねん))6月(がつ)14日(にち)、伊賀地域(いがちいき)を震源(しんげん)とする大地震(だいじしん)が起(お)きました。この地震(じしん)は、震源(しんげん)が近(ちか)いこともあって亀山(かめやま)にも大(おお)きな被害(ひがい)を出(だ)しました。亀山城(かめやまじょう)の石坂門(いしざかもん)、楠門(くすもん)、太鼓櫓(たいこやぐら)など多(おお)くの門(もん)や櫓(やぐら)がくずれたほか、今(いま)(のこ)っている多門櫓(たもんやぐら)も大(おお)きくこわれています。また、亀山領内(かめやまりょうない)でも38人(にん)がなくなったほか、家(いえ)が48軒(けん)(たお)れ、36軒(けん)が半壊(はんかい)、192軒(けん)が大(おお)きくこわれました。

 

安政(あんせい)の大地震(だいじしん)

6月(がつ)に大地震(だいじしん)があったわずか半年後(はんとしご)の11月(がつ)4日(か)から5日(か)にかけて、静岡県沖(しずおかけんおき)から高知県沖(こうちけんおき)までを震源(しんげん)とする巨大地震(きょだいじしん)が発生(はっせい)しました。地震(じしん)の大(おお)きさは6月(がつ)の地震(じしん)よりも大(おお)きかったのですが、震源(しんげん)から遠(とお)かったために亀山(かめやま)での被害(ひがい)は6月(がつ)の地震(じしん)の方(ほう)が多(おお)かったようです。この年(とし)は2回(かい)も大地震(だいじしん)が起(お)きたため、11月(がつ)の地震(じしん)の直後(ちょくご)に、嘉永(かえい)から安政(あんせい)と元号(げんごう)がかえられました。

 

三重県中部地震(みえけんちゅうぶじしん)

2007年(ねん)(平成(へいせい)19年(ねん))4月(がつ)15日(にち)に三重県(みえけん)の中部(ちゅうぶ)を震源(しんげん)として発生(はっせい)したM5.4の地震(じしん)です。亀山市(かめやまし)では震度(しんど)5強(きょう)を観測(かんそく)し、数名(すうめい)のけが人(にん)がでたほか、建物(たてもの)や道路(どうろ)などに被害(ひがい)が出(で)ました。また、亀山城(かめやまじょう)の石垣(いしがき)の一部(いちぶ)がくずれたのもこの地震(じしん)です。



 三重県中部地震(みえけんちゅうぶじしん)で崩(くず)れた亀山城(かめやまじょう)の石垣(いしがき)
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