かんざし井戸(いど)
あるとき、峯城(みねじょう)(川崎町(かわさきちょう))が敵(てき)にせめられてとうとう落城(らくじょう)となりました。このとき城主(じょうしゅ)はなんとか城(しろ)から逃(に)げ出(だ)すことができたのですが、城主(じょうしゅ)の奥方(おくがた)は逃(に)げ出(だ)すことができずに城内(じょうない)の井戸(いど)に身(み)を投(な)げたと伝(つた)えられます。この時(とき)、奥方(おくがた)は城(しろ)の宝物(たからもの)であった銀(ぎん)のかんざしを身(み)に着(つ)けて亡(な)くなったことから、この井戸(いど)をかんざし井戸(いど)と呼(よ)ぶようになりました。柴崎地区(しばさきちく)(川崎町(かわさきちょう))の墓地(ぼち)の近(ちか)くにかんざし井戸(いど)のあとがあります。