富士山(ふじさん)の噴火(ふんか)
亀山(かめやま)の話(はなし)ではないのですが、加太(かぶと)の坂久右衛門(さかきゅうえもん)という人(ひと)が1708年(ねん)(宝永(ほうえい)4年(ねん))10月(がつ)に起(お)きた富士山(ふじさん)の大噴火(だいふんか)について書(か)き記(しる)しています。それによれば、加太(かぶと)でも昼夜(ちゅうや)をとわず大砲(たいほう)を撃(う)ったような音(おと)がきこえたこと、富士山(ふじさん)近(ちか)くの村々(むらむら)が火山灰(かざんばい)で埋(う)まったこと、富士山(ふじさん)に新(あたら)しくできた山(やま)を将軍(しょうぐん)(徳川綱吉(とくがわつなよし))が「宝永山(ほうえいざん)」と名付(なづ)けたことなどが書(か)かれています。