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6.嫁入り道具の披露



 嫁入り前に実家で行う祝宴では、嫁の親戚や近所の人に、嫁入り後に嫁ぎ先で行う祝宴「カカビロウ」(カカヂャ、チャビロウなどとも)では、婿の親戚や近所の女性に、嫁入り道具を披露していました。この時に嫁が恥をかかないように、実家の親は嫁入り道具の準備に心を砕いていたと言います。
 また、「カカビロウ」で年長者の女性と嫁が盃を交わした例もありました。このことは、「カカビロウ」が単なる祝宴や道具の披露の場ではなく、嫁が地域の女性社会に入るために設けられた機会であったことをはっきりと示しています。


6−1−1.嫁入り道具の出発
(仲野家所蔵)

 昭和15年(1940年)の嫁入りで、実家から嫁入り道具が出発する前の様子です。トラックに積まれているのでしょうか。近所の人々が集まって見送っています。

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6−1−2.嫁入り道具(1)
(仲野家所蔵)

 昭和15年(1940年)の嫁入りで運ばれた嫁入り道具です。写真右端に鏡台があり、タンス3棹、足踏みミシン、日本人形もみえます。

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6−1−3.嫁入り道具(2)
(仲野家所蔵)

 この写真も、昭和15年(1940年)の嫁入りで運ばれた嫁入り道具です。写真右下に茶道具や硯、硯の上には針箱(アマダイ)もみえます。座布団の上に布団が積み上げられ、左端には下駄箱らしきものが写っています。

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6−1−4.嫁入り道具(3)
(亀山市歴史博物館所蔵今井家資料)

 昭和期の嫁入り道具の写真だと考えられます。写真右下には裁ち台があり、その上に鏡台・傘・針箱・タライがのっています。また、嫁入り道具ではありませんが、雄蝶雌蝶の銚子、五ツ組盃、三方に半紙を敷いて白米を盛り、松の枝を立てて肴を置いたもの(盃事の肴)がみえます。

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6−1−5.嫁入り道具を運び入れる風景
(個人所蔵)

 昭和51年(1976年)の嫁入りに際して、嫁入り道具が運び込まれる様子です。トラックの荷台は紅白の幕がめぐらされ、「寿」の文字が染め抜かれた風呂敷で包まれたもの、タンスなどが見えます。このような風景はよく見られたものでしたが、近年はほとんど見かけることがなくりました。
6−1−6.鏡台
(加藤明家所蔵)

 鏡台は昭和期の嫁入り道具としては一般的であったもので、嫁入り道具を婿の家に運び込む際に、最初に運ばなければいけないとされることもあったほど重要な道具でした。この鏡台は一枚の鏡ですが、次第に三面鏡に変わり、昭和50年代には椅子が付属したドレッサーがはやりました。
6−2.長持
(亀山市歴史博物館所蔵西川家資料)

 嫁入り道具と言えば、まず長持が思い出されたものでした。長持には、主に布団や座布団が入れられていました。市域では、昭和20年代頃まで嫁入り道具に長持が入っていましたが、昭和30年代頃から姿を消し始めます。展示している長持は、昭和20年頃に嫁入り道具として嫁ぎ先に運んだもので、嫁の実家の家紋が入っています。
 長持はタンスと同じく、棹で吊って運んだところから、その数の数え方も「一棹、二棹」であり、嫁入り道具の数も「棹」で表現されることが一般的でした。
6−3.タンス
(加藤明家所蔵)

 嫁入り道具から長持が姿を消すと、タンスがその中心となりました。タンスのひきだしに衣類がどれほど入っているかは、カカビロウ(チャビロウとも。結婚式の翌日などに行われる女性だけの祝宴のこと)で細かく確認されたため、古い衣類でもよいので、詰め込んで少しでも多く見せようとしたと言います。


6−4.柳行李
(亀山市歴史博物館所蔵)

 太平洋戦争下では、倹約の名の元に嫁入り道具にできるだけ費用をかけないようにする風潮があり、市域でも、タンスの代わりに柳行李を使うことが増えたと言います。


6−5.針箱
(亀山市歴史博物館所蔵斉藤家資料)

 市域では、針箱のことを「アマダイ」と呼んでいました。針箱・裁ち台などの裁縫道具が嫁入り道具に含まれていたことは、当時の嫁の役割として裁縫仕事が欠かせなかったことをあらわしています。
6−7.足踏みミシン
(亀山市歴史博物館所蔵)

 市域の嫁入り道具に、足踏みミシンが登場した時期ははっきりとわかっていませんが、昭和20年代後半であったとも言われています。
6−8.洗濯板
(亀山市歴史博物館所蔵安藤家資料)

 洗濯は、忙しい野良仕事の合間の早朝や夜などに嫁が行う仕事でした。タライと洗濯板を使うことが基本で、家の敷地で行う場合と地区共用の水場(水路など)で行う場合がありました。
 共用の水場には、暗黙のルールがあり、汚いものを洗う場所が決まっていたり、場所が狭いために洗う順番が決まっていたりしました。「嫁入りしたばかりではユミゾ(共用の水場)に出られん」と言われた地域もあるほど、そのような場所では、新入りの嫁はとても気を使いました。
6−9.タライ
(岡本家所蔵亀山市歴史博物館寄託)

 洗濯板と共に使われた道具でしたが、市域では昭和30年代くらいから、嫁入り道具に洗濯機を持って来る人が出始め、洗濯機の普及に伴ってその影は薄くなっていきました。
6−10.米俵
(亀山市歴史博物館所蔵)

 聞き取り調査の限りでは、市域では少なくとも昭和20年代には、嫁入り道具と一緒に3俵くらいの米を持って嫁ぐことがめずらしくなかったことがわかっています。その米は、嫁が一年間に食べるご飯の分として持って行ったのだということです。


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