2.結納
現在では省略されることも多い結納ですが、昭和期には結納を行うことが一般的でした。当時の市域では、仲人が供の者などを連れて結納品を納めに行きました。この時、仲人に出される料理は、食べずに持ち帰り、その料理と同等のものを嫁入り当日の祝宴に出す習俗がありました。 また、結納品をもらった娘の家では、それを床の間に飾って濃い親戚などに披露する「結納開き」を行いました。 |
(仲野家所蔵) 昭和15年(1940年)の結婚に伴う結納品の写真です。写真の中央に熨斗、その手前に友白髪(麻)があり、写真左の上から柳樽、昆布、傘、下駄などの履物、写真右の上から鯛の飾り物、スルメなどがみえます。 |
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(下庄町個人所蔵) 昭和57年(1982年)の結婚に伴う結納品の写真です。床の間に高砂(人形)、宝船があり、写真中央に松竹梅の飾り、その右側に友白髪(麻)と熨斗が確認できます。 |
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(加藤明家所蔵) 昭和11年(1936年)の結納受領目録です。 |
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(個人所蔵) 昭和58年(1983年)の結納目録です。「 |
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(亀山市歴史博物館所蔵 青木家資料) 江戸時代の安政5年(1858年)の結納目録 | クリックで拡大 |
(個人所蔵) 展示されている昭和58年(1983年)の結納目録と同じ時のものです。結納品をのせる白木台にある付箋から「 |
(亀山市歴史博物館所蔵桜井家資料) 結納目録には記されないことも多かったようですが、傘は市域の結納に欠かせない品物でした。この時の傘は、「(嫁入り当日が)雨でも嫁いできてください」という意味があると言われ、履物と共に重んじられた品物でした。 |
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(亀山市歴史博物館所蔵田中家資料) (亀山市歴史博物館所蔵原家資料) 結納の際に納められた下駄です。下駄の側面に松と鶴が描かれています。結納に草履や下駄などの履物を納めることは、市域で広く行われていました。 (亀山市歴史博物館所蔵石田家資料) 結納の際に納められた高下駄です。下駄の側面に松と鶴、紅白の鼻緒に鶴と亀が描かれています。結納で高下駄を納めるのは、「嫁入りの日が雨でもこれを履いて来てください」という意味であるとも言われていました。 |
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(仲野家所蔵) 昭和6年(1931年)の結納についての仲人の覚書です。そこには、「傘及下駄ハ結納ト同時持参ヲ乞フカ」「引取日ノ当日(嫁入り当日)嫁向ヒニ来ル際持参スルカ」とあります。 市域における聞き取り調査の結果では、結納と同時に傘や下駄などの履物が納められ、それらも結納品に含まれていると考えている方が多かったのですが、末尾の「備考 亀山地方ハ当日媒介者(仲人のこと)嫁向ヒニ行際持参スル例アリ」という記事も併せて理解すると、傘や下駄は結納品ではなく、従来は嫁入り当日に仲人が嫁を迎えに行った時に渡したものであったと考えることができます。このことは、傘や下駄が書かれていない結納目録が多いということ、「結納品の傘や下駄は、嫁入りの日が雨でも嫁に来て下さいという意味だった」という話によっても補足されます。 |
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(下庄町個人所蔵) 昭和57年(1982年)の結納の際に出された料理です。この料理と同等の料理を嫁入り当日の祝宴で出さなければならなかったため、仲人は食べずに婿の家に持ち帰っていました。写真の右上の籠盛りが「台引」、その下はキリゴミ(か)と赤飯、写真左上は本膳料理、その下は引き菓子であると思われます。 |
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